廉価版再考・批判

洋書のペラッペラな表紙、あれはペーパーバックとかソフトカバーと呼ばれているのだそうで、昔からあまり好きになれないのである。

だって見た目から安いじゃん。なんかさ、本のありがたみが失せると言うか。
本に関しては、やっぱり(CD・レコードでよく使われる言葉で言うところの)「ジャケ買い」が大きかったりする。
特にマンガはそうだ。マンガと言うのはカバーがあって本体があって。最近は表紙裏に別の絵が描いてあったりと色々嬉しいのだが、最近コミックはコミックでも、ペーパーバックのような装丁になってコンビニに陳列されていることが多い。はじめてみた時は本当にびっくりしたものだ。

和書に関しては、これをペーパーバックではなくソフトカバー、あるいは廉価版と呼んでいるらしい。いずれも指しているのは同じなのだそうだ。
参考:wikipediaペーパーバック

個人的にはこれはいただけない。廉価版は確かに一般的に手に取りやすいものなのかもしれないが、廉価版という言葉から連想されるのは、やはり「読み捨て」なのだ。私は本を所蔵することに並々ならぬ快感を覚える性癖があるので、廉価版を家に置くということ自体がマンガに対する冒瀆とさえ思われる。なんてことはない、安っぽいのがムカつくだけなのだが。
そんな廉価版を何冊も持ってこられた日には、一も二もなく「捨てろ」と言いたくなってしまうのである。

もちろん廉価版のメリットは十分にあろう。多忙を極める日々の中、本屋に行く暇もない方がいる。あるいは本屋に行くことすら面倒な方々がいる。または読みたいマンガがあるのだけど、巻数が多すぎて本屋にもなかなか揃ってないし、あったとしても大人買いするほど余裕もないし、買う気がしない。そんな方々に、コンビニで販売される廉価版は値段も安く、非常に手に取りやすい。つまり、気軽に買って読むことのできるのが廉価版である。もちろん「体験版」という意味も大きい。有名な作品なんだけど、どこから読んだらいいか分からない――つまり初めから読むつもりはないということでもあるのだが――という方にも、ジャンルやトピックごとに分けてまとめてあったりするので、とっても便利。そして絶対に忘れてはいけないのが、時間の合間にコンビニでサッと買って読めるという利点。こういった点が、廉価版を普及させることのメリットなのであろうと適当に考える。

つまり、どこまで行っても廉価版は「読み捨て」なのだ。

それを家に大事に揃えておく神経が理解できん。「こち亀」だろうが「ギャラリーフェイク」だろうが、内容はともかく、私は廉価版を本とは認めない。隙を見つけて談話室にあるやつは全部捨ててやりたい。