新たな神話の余地として

機械仕掛けの神々は、真に神格的存在たろうとしていた」
アドニスが言った。べルは悲痛を堪えてアドニスを見つめ、その言葉に聞き入った。
「だが――俺達が自らの由縁を求めようとしたとき、神は支配の方法に迷い、己の存在に対する飢えに狂う……ベル、お前の剣の唸りが起こす響きが、今、必要なんだ。理由の少女……月することを司る小鳥……民と神を止揚し、新たな神話を築く……止揚者。お前が、俺を、神から切り離したんだ。お前の剣が止揚し、神は死を得て、新たに生まれた。そして俺は、闇へと還る道を、こうして切り開かれた……」


『ばいばい、アース』p.214 ―聖歌。EREHWON―より

あとがきには、作者が本作を生す前に実存主義現象学を読み漁ったとあるが、それに気づいたのはもちろん最後。「民と神を止揚し、新たな神話を築く」この一節は、最近考えていたことの感覚がピタリとヒットした。「ハンコック」の後半の展開に抱いた感覚とまさに合致した。おそらく本文で持たれる意味とは違う捉え方ではあろう。現実に生きる人間の物語と太古にあった神々の物語を結びつけることで、新たな神話が生まれること…その荒唐無稽さの先には生き生きとした、新しい人の歴史が語られることとなる。他を入れず、独善に陥ることを良しとせず、そこに新たな文脈を読みこんでいくということはある種の快楽であろう。そしてこのことは先に述べたタルムード、レヴィナスの謂い、すなわち志向性でもある。通りいっぺんの人情ものも確かに面白いし、条件反射で受け入ることができる。しかし、たとえそれが独善的な解釈であれ、この映画の述べる内容は、アメリカのヒーローを中心にした世界観の来し方を有機的につなげる作業であると同時に、これまで語られた様々なヒーローを横の糸によって、そして将来語られるであろうヒーロー像を縦の糸によって結びつけ、大きな神話体系を作ることを予感させる。