冷やせよ我がグズグズ脳みそ、と彼は言った

大学購買の書籍コーナーに久々に行ってみてショックを受けた。こんなに快適な空間であったのか。適度に効いた空調と、本を読むに十分なスペースがここにはある。誰も自分の趣味に興味をしめすことがなく、全く自由に本を読んでいられる。無駄な鳩胸がウキウキと踊りそうにすらなる。ときめいてしまう。安心しすぎて便意すら催してくる始末だ。
それに引き換え俺の棲む場所がいかに劣悪な環境であったか。日中は蝉が鳴き通して熱風が吹き込む。少しでも睡眠が足りていなかったらイチコロ、体調を保てずに意識を失う。おかげで昨日は半日以上にわたって寝ていた。こんな生活とも呼べないような一日を過ごした――いや“過ごした”なんて一般的な表現を使うことすら腹立たしい――ともなると、自分を呪いたくなる。この犬畜生に劣る無駄飯喰らいの屑が、お前が生きていることすらこの世の損失だ、死んで詫びろと。消え去れと。まったく最低な環境に最低な生活、こんなことが許されていい筈がない。キーボードに手を置いてみても煮え上がった蚊程の極小の脳みそはグジュグジュ音を立ててロクな言葉を思いつかない。普段なら避けて通るステロタイプの表現を何の疑いもなく、それが至高の表現であるように使っている。おかげで昨日書いた文章はゴミである。もはや手遊びのレベルをも下回った。妄人の戯言である。といっても気分が最高潮にノっていた時でさえまともな論理展開をできないような人間が書くことなんてタカが知れている。
しかし、こんな最低最悪劣悪至極な環境にいる私は、それは何もできないゴミになるのも仕方がないと。ここまできて、弘法筆を選ばず、才人は場所がどこであろうと自分の行をこなすことができるなんて言うまい。まったくもってアマい。そんなことを言う良識人様は、では冷水の入った金魚鉢、金魚―それはあなただ―が泳いでいるところを想像してほしい。自分が覚悟を決めて入ったにもかかわらず、その鉢の底からは実は火がくべられているのである。気付かずに煮え上がった脳味噌で何ができるというのか。グズグズの湯豆腐以下になり下がったオツムでは最高の仕事などと言っていられようがないではないか。モチベーションだ?そんなものも脳みそを一緒に消え失せてしまうだろう。そんなものは現実ではない、邯鄲の夢ということだ。夢のまた夢、際限ない妄想の切れ端を普段ならしっかりと握りしめていられるだけの握力程度は残っているところが、ここが人間というものの脆い所で、環境が変化すればそんな切れ端すらもほんの少しのきっかけで容易く手放してしまうのだ。
そんな所で文句を垂れている位なら住処を変えろ?そう来ると思った。金がないんだよっ!!他に方法を考えろ?面倒くさいんだよっ!!もう死ね!