いちケチシリーーーーズ。その1(最終回)

自分があまりやらないことにいちいちケチをつけてみようシリーズ。
「ブログを見てくれる人を増やすためには、最近の話題を取り上げるといいですよ!!」
うわあ、あさましい。何年前だったか、私もカウント数が伸びないのを自分が無視されているように感じて、一時期は感情をやたら揺さぶられていたことを思い出す。自分に語るべきことがないのに、なぜブログを書こうとするのか?なぜ振り向いてもらいたいという欲望だけが生きながらえるのか?相手に振り向いてもらうために、君は自分の思いを曲げようというのか?これは目的と結果の転倒パターンだ。書くことがないなら書かなければいい。無理する必要はどこにもない。キーボードをたたき壊して、布団に潜り込めばいい。しかし思い上がるな、人間一人にどれだけの価値があると言うのか。「尊い魂」などという言葉は、自分たちの存在を守るための方便でしかない。*1
そう思うと自分の欲望に正直であるというのはある意味評価に値するが、やはりあさましいものは嫌いなので、死ね、とだけいいたい。


・・・とは言うけれど、物事は時を重ねるごとに段々と複雑な事情を帯びてくるのである。本来、何らかの話題を発信するためにホームページを作り出したと考える。ブログはそれがより私的な意味合いを帯びたものだろう。自分の言葉が様々な人々の目に触れる機会が増える、そんな魅力的な響きが、人々をひきつけた。爆発的にブログは増える。しかし!本来書くことがない人にとってはブログを更新し続けるのは次第に苦痛になってくる。相克が起こる。振り向いてもらいたい、しかし何を書けばいいのか分からない・・・そんな(はたから見たら全くもってどうでもいい)ことの果てに、疲れてしまう。そして新たに生み出されたのがSNSというわけか。書くことに魅力を感じず、しかし誰かとつながっていたい人は、こちらへなだれこむ。それはもう、イナゴの大群のように。もちろん質は下がるだろう。紹介制という形を取っているのがいい証拠だ。人の集まりは本来腐敗するものだ、ということを暗に認めているではないか。所詮制度は崩壊する。SNSという(もはや新しくもないが)新たな手段は陳腐化する。そして人間のニッチな欲望をこじ開けた手段が生み出される。永遠の連鎖である。

*1:後半ほぼ意味不明。