「みんなしねばいいのに。」

ちょっと中二病言語化しちゃっていいですか。組織とか集団とか嫌いですわやっぱ。自分の存在定立のために相手に迫害的になるような奴は死んだらいいのに。そういうのに限って自分の不利益には凄まじく敏感で、そんな状況に陥れた対象に徹底的に攻撃を仕掛ける。この論理はつまり、「殺らなきゃ殺られる」というのに代表される、恐怖の裏返しである。
前思春期に特に起きる苛烈ないじめのシステムなんてここで大体が説明できるんではないだろうか。自分が自分で居るために、自分が安全で居るために、誰かに難癖付けて徹底的に攻撃する。おそらく、いじめの裏ルールとして「相手は死んではならない」というのがある、とも考える。死んでしまえばいじめは終息し、また別の誰かがいじめの対象に選定される。もしかしたらそれは自分かもしれない。そう考えると、いじめの対象はできるだけ長く生きてもらいたいというのがどこかにある、ということになる。…かなりキツイ論理で、当然例外は存在するのだが。
で、ここからもかなりキツイ論理の飛躍があるのだけれど、「自身の利益を守るために相手を攻撃する」という考え方は社会にも蔓延している。もちろん大義名分を作るために、攻撃対象は自分を傷つけた奴が一番いいのだが、なかなかそうはいかない。「社会が悪いんだ!」とか言ってじゃあ君はテロリストになるとでもいうのか。もちろんそこに行きつく者もいる、がやはり少数派。漠然とした対象にどうやって攻撃を仕掛けるというのか。たいていの人間がその抽象性ゆえに、想像力が追い付かず断念する。ここで考えられる攻撃対象の選定ルール。とりあえずやっつけで列挙します。①自分に不利益を被らせた奴。②身近な奴。③自分の欲しいものを持っている奴。④自分。――ぱっと見、①と③が似ている。というのは、③は「あれがほしい。」⇒「でもあいつが持っている」⇒「あれはぼくのもののはずだ」⇒「ぼくのものを持っている奴は悪い奴だ」⇒「あれがぼくのものであるために、あいつから奪わなければいけない」という流れで、欲望はつまり、自分と相手との間に「持つ」―「持たない」という意味で優劣関係すら生み出してしまう。で、②と④もだいたい似ている感じか。身近な奴というのはたとえば家族、ペットなど。何らかの事情で自分の鬱憤を外に向かって晴らすことのできない者が、とりあえず暴れておく。相手は生きているものであれば、その痛めつけた効果がありありと分かる。(つまり“やりがいがある”。)そういった意味で、自分なんて格好の対象なんじゃないか。リストカットが気分を晴らすことにつながる、というような証言があることからもそれは明らかだろう。でも、もちろん攻撃対象を相手にするのと自分にするのとでは決定的な違いがある。「自分を攻撃する」って、すでに傷ついているのにさらに追い打ちかけてどうすんのかって話だ。ということはつまり、自分の傷の原因が自分にあるという、言わば「罪」の意識が考えられる。それに対して「罰」を加える。自分が自分を罰する。これがその結果か。
では、罪の意識は他者にも向けられないのか、ということになるけど、なんというか、自分に向けるそれとはちょっと意味合いが違うような気がする。罪の意識とは本来自身に対して向けられるものであって、キリスト教の根幹にもその証拠があるではないか。そして他者に向ける罪とは、法、ルールというものが生まれてからの話である。法とは、公共の利益、制定者の利益に反することへの対抗策である。大きな目で見たら、社会が社会自身を自ら罰しているということにもなるのだけど、それ以前に構成因である人間同士の関係を考えなければならない。人が他人を罰する理由に、公共の精神が必ずしも備わっているとは限らない。「僕はみんなのために君を罰する!本当ならこんなことしたくないんだ!!」なんて言ってる奴を見たことがあるか?滅多にいないだろう。キモイし。やっぱり他人は所詮他人なのであって、個人的に攻撃する相手には「罪」という概念は与えられないのでないか。「罪」とは絶対的な他者から与えられる自分の“欠陥”“失敗”に対する方策であり、どこまでも個人というか、一個の存在という枠を出ない。そういう意味で、社会に適応される「罪」とは、社会を一個の存在として、その悪い部分を是正するための方策だと言ったほうがしっくりくるのではないか。なので、「罪」とはどこまでいっても自分のもの、という結論。
ええいそんなことを言いたいのではない。このたわけ。つまり(これも何度使ったことか・・・)自分の他者に対する攻撃を公に正当化する奴は胡散臭くてしょうがないし、そんなことしなくても相手に攻撃する奴は自分を顧みたことのないような畜生であって、基本的にはつねづね私がぼやいているように、「誰にも他人を責める資格はない」のである。もちろん攻撃してしまうこともあろう。それは別に仕方ない。やっていいというわけではないけど。でもそれを正当化しようとして嘘八百塗り固めようとするような奴ひいてはその集まりは死ねばいいんだと思う。なのでみんな死ねばいいのに。中二病の末路。あ、オチた。