おたくらはパン党それともごはん党?(季語なし)

糞面白くもない一般論や若者の悩みなど、時には新鮮に思えるかもしれないが、鼻を突くようなその特有の臭みは人を何とも言えない不快な気分にさせ、口の中に酸っぱいものがあふれ出てくる始末である。無自覚の罪――それはここでも余裕で滲み出てくる。正論らしい正論を自慢げに語っている奴ほど張り倒してやりたくなるものはいない。それは、分かり切ったことを堂々と振りかざすその空気の読めなさにある。誰でも知っていること、それはすでに通過された場所なのだ。なにぃ〜、「原点に戻れ」だと?それはお前の台詞じゃねえよ。しかも命令すんじゃねえ。往々にして論点がずれたまま強弁する奴は、その論理が単純であればある程鬱陶しく、口やかましく感情的にわめきたてる奴の次に面倒なものだと吉田兼好も言ったやもしれないが、まったくその賢しらときたら自分の考えを神秘化するが如きの愚かさである。乳臭い顔で正義を語るな。曇りのない眼で平和を語るな。度し難いという点で彼らはきわめて強力ではあるが、基本的に後ろ盾となるものが自分自身かそれとも想定された神かそれとも鰯の頭か、ともかく論理の脆弱さを隠そうともしないところはまるで丸出しルックでイマドキのお洒落を楽しんでいるんだと言われた時のような痛さを感じてしまうが、とりあえずこれはミランクンデラも言うような同情といったたぐいなのだろうか、いやこいつの感情なんて知りたくもねえなとまあ勘違いの判断と自己顕示の汁を垂れ流す私もまた同罪なのだということに諸兄は気づいているだろうか。これが本当のイタイタしいというやつである。ともかく人というものは一面的な明るさしか湛えていないと逆に不自然もしくは不健全に見えるものであり、たとえば最近試験に落ちたエリート君のいつも明るい顔に絶望しきった影が見え隠れすると何とも言えず表情が豊かになったと称賛せずにはおれない、とつまりそういうことを言いたいのである。人はパンのみにて生くるにあらず、ごはん党もいるよと聖☆おにいさんがおっしゃったがつまり眼に見える肯定的な側面ばかりが人間を成長させるのではないということだ。さんざん苦しめば味が出るわけで、某思想団体の勝利への邁進はまさに迫害という蜜の味を知っているからである、なんて言ったら私そろそろ国民の10%を敵に回すことになるのかしら、どちらにしても現状肯定至上主義は臭いものにふたをしているような感じさえするので私は嫌いです。ああどんどん知り合いにも知られてはいけないブログになってきていることだなあ詠嘆。