をに

人の世のいかに悲しいことであるか。私は日々嘆いている。禍つ者が跳梁跋扈するこの地で、吸気を肺臓に満ちわたらせられる処はあまりにも少ない。

――お前、見たぞ。いいものを持っているな。俺に貸してくれまいか。なに、ちょっとだけだ。悪いようにはしないから。何、俺の言うことがそんなに信じられないのか。お前は人を信用しないのか。お前は人に慈しみをかけるということを知らないのか。よいからこちらに渡すのだ。私の願いが聞けないということがどのようなことになるか分かっているだろうに。なぜ虚勢を張るのだ?否、問答すら無用だ。渡さぬのならその大事そうに抱えている両腕ごと持っていこう。心配になればお前から取り戻しにやって来るというものだ。

タニタする下卑た表情が理知のふりをして寄って来る。論駁することなど愚の骨頂だ。身ぐるみ持っていかれる。もはやそのような輩には逃げるしかないのだが、しかし一方で反抗してみたい気にもかられる。我高しと思うている者の性か、それとも虐げられたと思うている者の捩じくれ心なのか。死んでもいいからこいつの肉を食うてみたいと思うのだ。彼奴の肉を食めばどんなに良いことだろう。しかし、もはやどちらが鬼畜生なのだろうか。そのような純然たる悪はいないし、仮にいたとしても半端者が太刀打ちできるような相手などではない。そして思い至るのが死の望みである。己の裡に巣食う鬼を駆り、身を滅ぼしてまたよしとするのだ。己の中に燻ぶる無力からの苛立ちは時として我を見失わせる。齧りつきたい。果して後に残された者は簒奪者の餌食となり、鬼となり果てた者は銃後の同胞を食い散らかす。誰もが鬼なのだ。それをないものとする世こそ恐ろしい。飼い馴らす術すら忘れているからだ。野放しになった鬼は、己の欲のままに奔る。狡知を尽くして互いを貶め、弱き鬼を喰い散らかす。骨肉相食む世が、一たび眼を拭えば映し出されよう。己は善人だと嘯きながら互いを千切りあう鬼の姿が露わになろう。
己を知らぬことは、まさに罪なのである。