戦戦兢兢なり我が日々

環境が変われば姿勢も変わる。私は最近縮み上がりっ放しだ。今まで女性に嫌われてきたことは数知れず、それというのも私が決定的に信頼を損なうような真似を何度となく繰り返してきたからである。なにぶん図法螺な性格が直らないもので、常に気を張っていてもどこかで決定的な損ないを犯す。それが人との約束事であれば酷いことになる。こっちは申し訳ない気持ちで一杯になり、ついでに何とか難を逃れようと下手に工作するものだから相手は烈火の如く怒り狂う。これを私の母は痛烈に非難した。「お前は傲慢だ」。まさに言い得て妙である。誠実な振りをしてその実どうしようもない不義理を犯すことに、特に女性は耐えられないらしい。瞋恚に燃えた目が吊りあがる形相に私は縮み上がる。無言で存在を抹消されるのもまた恐怖の一瞬である。
私の今の環境は女性が大半である。“フェミニンだ”と形容した方がいるが、良い意味でも悪い意味でもそうなのだ。開放的である一面、そこかしこで互いを探り合うような妙に当たり障りのない会話が飛び交う。自由なようでいて、それに慣れない者にとってこれほど不自由な空間はない。言わずして伝わることを旨とする彼女たちのコミュニケーションは結局無骨な野郎には難解極まる代物なのである。
もはや労りも純粋な好意も媚びも、何かを言下に隠す手立てとしか思えない。そして私の図法螺がそこに重なり身動きが取れなくなってしまう。私は恐縮して、最低限の紳士的な態度と怯えを滲ませて彼女たちに接する。彼女たちの困惑した顔が凍りつくのは最早時間の問題だろう。足腰が抜けるような戦慄を日々感じて、また明日も彼女たちに媚を売り最低ラインを辛うじて拵えることに邁進しようではないか。最低の野郎だ。