無理解と断絶

悪態を吐く者。無理解な者。これらの方々は、自らの規準に合わないものを否定する。拒絶する。彼らに何を指摘しても、どのように非難しても、無駄だろう。受け付けるつもりが最初からないのだから。「おかしい」「バカ」「どうかしている」、讃辞として使われるわけでなければ、この言葉を発した瞬間に、彼が見ていたものはそもそも存在しなかったもの、誤ったものとして扱われる。モノ以下として。ゴミとして。
「対話の不可能性」という言葉が生まれるのは、このような断絶への悲しみ、怒り、失望が動機となることもある。おそらくそうでなくとも、「無理解」という語がわれわれを突き動かすのかもしれない。

さて「自分を理解してくれない」だのいう体験が一度もなかった者はいるのだろうか。
このあいだは、人文系の学問は、必然的に多義性・曖昧さを持った概念を作っていることの指摘があった。留意のこと。