かつての塗炭

思い出したくもないことを思い出す。
強者を自称する者たちが群れて、弱者を排除する。弱者に分類されるような者も強者に交じれば、弱者を見下す。私のいた場所はそういうところだった。自らの学歴がオールマイティパスになっていると勘違いするくらいならまだいい。学歴のある奴が小知恵を働かせると、しぜん頭の回転の悪い奴やグループに交じりきれない者が排除される。「だからお前はいつまでたっても」云々。本当に頭の切れる者、実力のある者は群れてくる奴らを適当に使い回し、平然とした顔で事を済まして自分の気持ちの良い場所を平然と作る。誰もが認める。彼は強者だと。もちろん群れる奴らにとっても、個々人の傲慢さが群れ集まり、自分のステータスさえ揺るがされることなく、しかも居場所さえも保障してくれるこの場所は、楽園だっただろう。しかし交わらない者――それが私だった――にとっては、地獄だった。無力感、無能感、自己嫌悪、敵愾心、復讐心。それでもたった一片の意地で、これしきのことが耐えられなくてどうする、と我慢を強いる。報われることもないのに。いや、あの時はどのように評価されようとも、自らを地獄に叩き落とす真っ最中の私は、救いの道を歩むことはできなかったのだ。浮かれた気分はその後を惨めで陰鬱なものにした。もう誰の声も聴きたくなかった。復讐することも現実的ではないのなら、私は彼らの言い草に忍従するか、背を向けるかしかなかった。残念なことに、自分の社会性に問題があると思っていたため、人に背を向けることを戒めていた。黙って聞いているしかなかった。激しく暴力的なイメージがよぎり、一瞬浮き上がった足が机を蹴り上げようとしたり、満身の力を込めて拳を振り上げようとして筋肉が痙攣することもあった。その衝動を抑え、不自然な演技を自分にほどこし(かえって自分が暴力性を秘めていることを、自分自身に示唆させるようなものだった)、怒りを押しとどめていた。
悔しいことも、つらいこともあった。それは今でも思い出すたびに蘇る。何も解決されていないのだ。あのとき私は、もう自分に対する感情を諦めるようにしたのだ。なんと言われようと感情をかきたてるまい、と。成功こそしていないが、劣等感をつぶし、忍従を身につけるにはこれしかなかった。翻って言えば、これこそが私が実際にとりうる最大の暴力だった。すなわち、自分自身を徹底的に痛めつけようとしたのだ。朱に交われない私を許さない。能力のない私を許さない。機転の利かない私を許さない。だが、それでも私は安きに逃れ続けようとしていた。光が差し込めば、そちらに駆け上ろうとしていた。結末は決まっていた。周囲の状況を受け止めきれず、自らの無力に崩れ落ちるのだ。
いつのまにか、私は自分の感情に振り回されるばかりで、冷静に考える余裕は一日に半時も残されていなかった。人との出会いは苦痛しか与えなかった。論理的に考えることは不可能だった。いや、「不能」であった。大学最後の年だった。