脇見と彼岸

傍から眺める、という所業。人の会話に傍耳立てて、あるいは自らの願望を隠しながらその道の者の活躍を眺める。いずれも、自らが当事者ではありえない。「なぜお前もそこに行かない?」行けないのだ、いや、行こうとしていないのだ。怠慢とも罵られよう。臆病だと嘲笑われるだろう。そう、そこには隔たりがある。たった一歩で踏み込めるその距離が、当の私には限りなく遠く感じられるのだ。
この距離は、私を悩ませ続けてきたものの1つの姿である。この隔たりは、「ここ」に居て「ここ」の論理に居る限り、超えられることはない。自らが自らであり続けるために意図して設けた隔たりだとしても、もはや自分で打ち破る力も方法もすでに失われている。自らが「ここ」にいることを選んだ時点から。此岸と彼岸。こことあそこ。
「では、そこに向かえばいい」と言われるかもしれない。そう、向かえばいいのだ。その隔たりは日の光を遮る薄いカーテンのようでもあるが、底の見えない切り立った断崖のようでもある。どのように感じるかは私次第だ。さあ、何の準備も要らない。ここからあそこへ。