大音量で聴く

久しく大音量で音楽を聴いていなかった。相変わらずFatboy SlimのDance Bitchだが、最大音量で聴くことがこんなにも精神状態を異なったものにするのだ、と驚いた。
まず、細やかで正確な、そして意識的な思考や行動ができなくなる。大きな音、しばらく聴かなかった音は耳を驚かし、緊張へと連れ込む。筋肉がこわばり、意識的であろうとするほどに動きをゆっくりとせざるを得ない。周囲の音が聞こえなくなるために、慎重になろうとする。神経をとがらせ、眉根に皺をよせ、目つきが鋭くなる。適度な選択ができなくなる。鼻で息をすることも難しく、口が半開きになる。酔うた体を辛うじて持ちこたえさせるかのような困難。
そして感情的になる。盛り上がりや突然の音によって名づけようもない感情の不定形な「波」が押し寄せ、情動失禁を催す。苛立つ神経は今まで気にも留めていなかったものに気付かせる。過去のことを特に思い出させ、あの人が言っていたのはこういうことだった、この台詞はこのような想いに基づいていたのかもしれない、恐らく私が死ねばこのようなことになるだろう。……なぜか「死」だ。私の死そのものというより、死んだ後の世界を想像する。私の居ない世界。穴の空いた世界(なんというロマンティシズムか)。今現在が危機をはらんだものと感ぜられるからこそ、死を思うのだろうか。


途方もないエネルギーを費やしたように思う。音楽を止めた後、それでも次々と行動が進められなくなっている。少し動いては立ち止まり、また考えることもできずに固まっては、衝き動かされてまたとどまる。主要な力をかっさらわれていかれたようだ。そして、空を仰げば青みがかった山が見える。こんな風景があったのだと驚かされる。夜を徹して動き回った後に訪れる朝のように。狭められた、尖った神経が体をよたつかせてなおざりな動きしかできなくなる。吐き気さえも感じる。選択肢は驚くほどに少ない。


慣れた音楽ならば、あるいはこうまでもならなかっただろう。荒れ狂う精神状態であれば、無理にでもなだめさせられたかもしれない。しかし少なくとも鎮静を主とするものではないことは分かった。コーヒーやタバコは鎮静をもたらすのだろうが、精神疾患を持つ方で大音量の音楽を好むことがあるのは、恐らく別の作用として求めているからなのだろう。たとえば、精神興奮状態に至る前に、幻聴に沿うて好ましい音楽とともに留めておくように。