髄からの鈍い痛み

この、脳髄から響く鈍痛を、私は本当に愛しているのだ。自分自身では到底あらがいようのない事象に身を投じざるを得ない時、私は無駄口をたたくのをやめて、じっとこの苦痛を見つめ、甘受する。そうでもしなければ、ないがしろにされた苦しみ、処罰は、あとになってより無形のものとなって私をむしばみ始めるからだ。その時には覚悟を決める暇もなく、おそらく何もできなくなってしまうだろうということも分かっている。苦しみこそが人生だ、などとうそぶいた。確かにそれは事実で、このことを忘れてしまった瞬間、私は何かから解放されると同時に、自分自身が何でできているのか、なぜここまでのうのうと生きながらえているのかを見失ってしまう。忘れるということは根本的に罪悪なのだ。あらゆることに腹を括って、いや括らずともよい、向き合い、苦しみ、穴という穴から血が零れおちるような苦しみを我が身に与えてこそ、私はそこで何が起きているのかをやっと知り始めるのである。もう、離れることはできない。忘れることは出来ても、自分自身を構成している無形の何かを手放して生きて行くことなどできない。苦しみよ、わが手に来たれ。来ずとも私から臨んで向かおう。罪びとたるわれを、切り刻み、償われぬ罪を、永遠に雪ぎながら、それでもなお拭い去ることのできないことに絶望し、そして私は身を滅ぼしてゆかねばならない。
言葉にすれば零れおちるものたち。私はそれを少しでも掬いあげようとして、こうやって同じことを書き続ける。

私の中で日ごろ思い出される人々。カノッサの屈辱におけるハインリヒ4世。『赤目四十八瀧心中未遂』で「生きることは行や」と言うた友人の医者。「ぼくのこと、許さんって言って」と乞うた晋平ちゃん。死刑宣告を受けた受刑者。この世に、自分で思い通りになることなどほとんどない。それを思い知り、自身のゆがんだ全能感をこそぎ落とし、自らを肉塊としてまで地に叩きつけ、原形をとどめぬまでに虐げて、己の醜さ、愚かさ、弱さを知らしめることが、私の仕事である。