進まない

頭が働かねー。やらないかんことうんこ盛り状態だがまとめサイトに時間つぎ込むというこの有様。なんぞこれ

結局、私は目幸先生の言うような訳の分からんことに相当共感してしまうということに気づいたのだが、あの人はユング心理学をベースにしているし、体験が重要だとさんざ言っているのでまだ自分が同調するところには至っていない。/しかし「共感」というとやたらと心理学のにおいがすると思っているのは心理学専攻の人間だけじゃないのか。かつて「同情」と「共感」は違う、なんてことを俺が厨房のとき小林よしのりが言っていたことをよく憶えている。別に誰も知らないわけじゃないだろ。共感という言葉を使わずもっとわかりやすい言葉を、なんて話になったら「同情」だってろくろく使えないじゃねーか。なんで俺はこんなに噛みついてるんだ。きめーな…。/まずろくに勉強してねー奴がJungだconstellationだsynchronicityだと言ったって不勉強の宗教かぶれのにわか心理学にしかならないし少なくとも自分にはそうとしか思えないのだ。だから別のアプローチで攻めるしかないということになってくる。では何がベース、基盤になるのか……結局ここでインタビュウネタになる。何が起こっているのか、を文脈の中から捉える作業だ。しかも言語データでなけりゃ事象そのものを集め、論理的に整理して、新たな提言らしきものにつなげなければならない。行為のうちにある登場人物は約3名。理論を支えるポイントは約3点といったところだろうか。何が起こっているのか、それは誰もわかりようがないし、少なくとも斯く斯くのことが共通しているのではないか、したがって両者の共通と相違に照らして、何が今後こちらの有用性につながるか、というところを論点を絞って述べる、というのが今頭の中にある筋書きだ。適当に書いたのでもちろん改編は必要だが、少なくとも何を以て何を言いたいかを明確にすることが緊要だって話だ。さてクソして寝るか…