隠された炎

「ふたり」でいると、息苦しい。

「さんにん」でいると、場を支える。

「よにん」より多いと居場所がないし、いなくてもいいと思う。

やはりわたしは「ひとり」がいい。

後ろ髪を引かれるように「ふたり」でいたその人を「ひとり」にすることに罪責を感じる。
――もしかしてあの人は、この瞬間に私とつながりを求めてきたのではなかったか――と何か取り返しのつかないことをしたかのように思い悩む。だとしたら私はとんだ愚かものだ。しかしいつもは言葉にならず、その場に何か焦慮の火が、つく。


炭火のようにそれはなかなか消えず、私はそれによって焦がされた私の中身を、何かで埋めようと必死にさがす。
足りないのは食べ物か?たばこか?睡眠か?見当違いの欲望を問いかけ、怏怏として時間が無駄に過ぎていく。そして、あせって、息切れを始めている自分を見つけ、なだめに入ると心を残した場所が浮かび上がる。


――私は人を傷つける。人を傷つけるしかできない私は死んだ方がいい、もう死にたい――


……とんだお笑い草だ。全く逆なのを気付かずに、口から欲望の炎がこぼれおちている。
人を求めているのはわたしだ、私自身だ。相手ではなく、他でもなく、私なのだ。期せずしてかけられた人との温かなつながりを、それを失ってから気づくのだ。どこかで、つながりが欲しい、と思っている私は、自分でそれをむざむざ捨てたことに耐えきれず、自分の痛みを他人任せにして、与えてくれなかった世界を恨み、世界よ死ね、世界に息づき体感している私よ、私の世界よ死ね、と泣き言をいう。


自分さえもだまくらかして、その埋め合わせは本当に大変長い時間を費やして、また一日を無為にすごす。